〈林〉釣れる時より釣れない時
僕がカワハギ釣りを始めてから10年ちょっと経ちますが、デビューのその年はカワハギが異常発生した年でもあり、初体験のカワハギ釣りでも52枚を釣り上げてしまい、当時の名手の方々は軽く束越え、二束に迫る勢いの釣果もあったと記憶しています。
その頃読んでいた本の中でとある名手の方は・・・
「カワハギ釣りは、トップで20枚位のときが一番腕の差が出て面白い」と書いていました。
でも条件が良過ぎで、釣れてしまうときはデビューしたての超ビギナーでも難なく釣れてしまい、その時僕も・・・
「『エサ盗り名人カワハギ』なんて呼ばれているけど、結構簡単に釣れんジャン!」というのが本音でした。
しかしその翌年からカワハギの釣れっぷりは戻り、一桁台の釣果でしか推移せず、本当のカワハギ釣りの難しさ、奥深さを思い知らされました。
釣れる時より釣れない時
釣れないよりも、釣れた方が気分が良いのが釣り。
釣り上げられバケツの中で泳ぐ獲物に目を細めて見入ってしまう幸せな瞬間、釣りが上手くなったという感触、満足感。
帰り道も今日の釣りを反芻し、数時間前の嬉しく甘美な思い出につい浸ってしまうことを良しとしながら握るハンドル・・・。
確かにそんな時もありますが、獲物にコテンパにされて鼻っ柱をへし折られ、同船者からは同情ともとれる慰めの言葉をかけてもらい・・、でもそんなことでは、一瞬で音も無く消え去った自信は蘇らず、乗船時よりも幾分軽くなったクーラーの重さにうなだれ船を下りていく経験・・・、僕は何十回となく味わっています。
以前も書きましたが、釣れた記憶はよく覚えていて、次回以降の釣行でもついついそのパターンに陥り、その大釣りの記憶の釣り方で一日通してしまい、その日のパターンに嵌れずに終わってしまう。
これは過去の経験が仇となる場合ですが、釣れない時は次回の釣行に向けてのヒントが隠された最大のチャンスでもあり、何で釣れなかったのかを分析し、それは、仕掛けであったり、誘いであったり、スッテの色であったりの、釣れた人との比較対象や、船を流す方向や船長の操船のクセなどの考察、潮色や温度、気象条件といった、前回と今回の状況の差異など、考え及ぶ事柄が幾つもある筈なのです。
そんな細かな一つ一つをつぶさに検証することで、今まさに船上にいて、船が獲物の真上にいるとき、より冷静に今の状況を読むことができ、「今どのようにしたら、いかに獲ることができるか」に全力で集中できるようなメンタルを養えることができると思います。
釣れた時に固執せず、釣れない時は「なぜ釣れなかった」が最大のヒント、冷静に分析して次に繋げることをすることが大切ではないでしょうか。
「ベテランは固執しすぎて、ビギナーはあれこれと迷いすぎて失敗する」とは、釣りの先人の言葉。
釣りには「こうすれば必ず釣れる」は、残念ながらありません。
いつでも釣れるザリガニ釣りに、大人が熱中しないのがよい例かと思います。
答えの無い釣り、だからこそ面白くやり甲斐があり、やめられません!