迷いと確信 ~迷い編~
楽しい釣行が好きな僕なのですが、折角釣りにいくのですから、釣れないよりは釣れた方がより楽しいことは周知の上、そんなことは言うまでもないですね。
乗り合い船などでたまに体験すること、周囲の釣り人は釣れるのに、自分にはアタリがない、エサさえ取られない状況。
自分だけ釣れない状況・・・。
この状態になると頭は真っ白、いままで積み上げてきた経験に裏打ちされた自信など、音もなく消し飛んでしまいます。
皆さんにも経験があるのではないでしょうか?
そんな時皆さんは、どのようにしているのでしょうか?
いつもうまく行くかとは限りませんが、僕は「悩まずに考える」ことにしています。
例えば車の行き来が激しい環七のような大通り、そこを絶対横断しなければいけないとします。
付近には歩行者信号や歩道橋等はありません、でも、どうしても、絶対渡らなければいけないとします。
きっと皆さんは、「どうしたら安全に渡れるか?」と悩まずに「考え」をめぐらすのではないでしょうか?
「悩む」は心労など、痛みを伴うもの、「考える」はあれこれ思うこと、新しく工夫することです。
釣り船で一人蚊帳の外のとき、思い悩んでしまうことは、ネガティブな思考のスパイラルに陥りやすいと思うのですよ。
「釣れないなあ、さあてどうしよう?」と思ったとき、あれこれ思い悩み出した結果、自分ではこうすると釣れるようになると思う二つの選択肢があったとします、その片方を選び釣っていく、ただその釣り方、釣りが終わってみてから分かるものなのですが、実はその日釣れない釣り方で、実釣中はその釣れない釣り方の中で模索していた、というようなこともあるのではないでしょうか。
思い悩むより考えて、まず「何が違う?」かを思い考え、
「釣れている隣の人と同じタックルではないが、今手持ちのタックルで補いながら今何ができる?」
「誘いの幅や早さは?こちらの方がラインが太い分、幾分オモリを重くし、誘いもやや大きく早く!」
「釣れている青系のスッテ(ルアー等も)がないなあ、青系は今の潮、天候でアタルんだなぁ、今後の参考に覚えておこう、では今、手持ちにある緑ではどうか?補色の紫系等は試す価値があるか?」
「口を使わない魚、では、満腹でも猫ジャラシに反射で反応する猫のように、食欲ではなくリアクションでアタリを出せないか?」
等など、その状況に「悩む」ことをせず、まず思考をめぐらし「考え」ることが大切だと思います。
掴みを失敗したお笑い芸人、出すネタ出すネタスベッテ行き、観客の笑いを誘うことはできません。
しかし釣りでは、掴みを失敗しても決して焦らず悩まず、「考え」ながら次のアタリを誘えるかもしれません。