〈林〉誰もが4番バッターに成り得るか!?
伊集院 静 という小説家をご存知でしょうか。
先日テレビ番組で初めて彼を観たのですが、今の時世をズバッと切るような、それでいて的を得た的確な発言、滲み出てくる男っぽさ、競馬では数千万円を携え勝ちに行き、過去にはあの夏目雅子、篠ひろ子と結婚していた経歴を持つ人気小説家なのです。
「伊集院作品には、生きることに不器用な、それでいて繊細な人物が数多く登場している」とは、その番組でのナレーション。
番組の中の取材で、「チャーミングな大人とは?」の質問に、「自分第一の考え方をしない。その場の損得の感情が見えない人。」と、間髪入れずに応え、その眼光の鋭さたるやに惹かれ画面に観入っていたのでした。
そこで彼は、「小説家が皆4番バッターではないんだよ。様々な読者がいるわけだから、その一人一人を満足させるというのは不可能なことなんだよ。」とも話していました。
書くべきものを書く小説家の個性、それを様々な感受性を持つ読者が判断し、「この小説家は大好きだから4番バッター、また別のこの小説家は何番バッター」など、それぞれ格付けしているということでしょうか。
カワハギ釣り。
一昔前は、「宙の釣りでは○○名人」、「ハワセの△△名人」など、各々得意とする釣り方があり、それぞれが得意とする状況での4番バッターだったと言い換えられるのかもしれません。
近代カワハギ釣方では、宮澤さんの提唱するステージ1~5までの、そのときその時のカワハギの活性、摂餌、外道の活性等に合わせた釣り方が紹介され、それぞれのスキルの細分化がなされていています。
例えば今期発売されたレッドチューン・レンジでは、ステージ4~5の想定、鉤はフック、又はワイドフック系を軸に、状況に応じて更なる鉤のチョイス、ハリスの長さや太さ=張り、集器などのハンドリング性を生かし仕掛け操作の機敏を付けていく等、短くは書ききれない程のフローチャートの組み合わせが存在すると思います。
その日の状況を読み、その細分化された一つ一つに当て嵌めることができれば、どんな状況でも4番バッター間違いなしのホームランならぬ釣果が結果として表れるかもしれません。
その幾通りもの組み合わせに嵌れ切れない状況を「負のスパイラルに陥る」といったりもしますが、それを過去の経験、その時々の閃きで当てて行くのもカワハギ釣りの醍醐味だと思いますし、そうして(釣れたではなく)釣った一枚の価値を見出したときほど嬉しいことはありません。
伊集院 静さんは、「小説家とは、いついかなるときも『瑞々しい(みずみずしい)文章』を書かなければいけない」とも言っていました。
僕は無論小説家ではありませんが、このブログを書かせていただいている僕の胸にはたいへん響く言葉でした。