〈林〉ノッている感触
今期好調な出だしのマルイカ、マルイカを掛けたとき「のった」と表現しますが、タイトルの「ノッている」はそれとはちょこっと意味合いが違う内容なのですが、さてさて・・・。
予てから探していた、オートバイで日本中を旅する主人公が書いた本、古本屋で見つけ早速購入、今日でかれこれ三回目の読み終わりです。
若き頃、僕も愛車にテントを積んでオートバイで日本中を旅ことがあり、共感の持てる内容が多い本なのです。
その本の中で主人公が、旅の最中昔レースをやっていた年配の方と知り合い、その方を書いたこんな一文がありました。
「耐久レースは、おんなじコースをただグルグル回るだけで退屈そうだけど、一周ごとに学習して上手くなっていく良さもある。
それほど速く走れなかった奴だって、いつの間にか速くなっていたりする。
ただグルグル回ったってダメなんだ。
かなりいいセンいってたって、『まだ先があるだろう、まだ先があるだろう』って気持ちじゃないとね、面白くないしね。
段々速くなってゆくっていうのは、こたえられない快感だよ。
自分がノリにノッてる感じがする時って誰にでもあるもんなんだ。
要は、そのノリをいくつ掴むか、どれだけ長くそのノリに触れていられるか、ってことなんだろうな。
そんで、どれだけその時の感触を心に刻んでおくことができるか、ってことなんだろうな。」
何か感じませんか?
そう、釣りに通じるところがあると思うのですよ。
自分の釣技ではまだまだ、まだその先があると心に思い、懸命に模索しながらの釣りもあることでしょう。
それは今までの自分の技量を打破するために、立ちはだかる壁を乗り越えることに力をそそぎ込み、そうしていてもなかなか上手く行かないことも多く、その先が本当にあるのかと思いながら・・・、そうなのです、「完成」は無いかも知れず、「絶対」も無いのが釣りだと思うのですが、そこのところを楽しめ、面白みが出てきたらしめたもの、それは今まさに、一歩一歩上達の階段を上がって行っていることになるのではないかと思うのです。
以前釣友がこんなことを言っていました。
「何をするにしても、ある程度一生懸命やらないと、楽しいというレベルにはなかなかなりませんよね。もっと楽しくなりたいから、いろいろ考えて、試行錯誤し、努力もする、って感じです。」
素晴らしいと思いませんか。
楽しみ上達する術を知っているこの友達、知り合いになってからまだそう長い期間は立っていませんが、こんなことも教えてくれました。
「友達は時間じゃないですね、深さですね。」とも。
自分がノリにノッてる感じがする時、その素晴らしい時間、それは心のときめき、連続する満足感を伴い、興奮していざ勇み叫びそうな、そんな自分を理性が抑え・・・。
前記の釣友ももちろん含め、釣りで出合ったかけがえのない友達、その友人達のノリにノッている横顔を隣の釣り座で見ているとき、自然に笑顔がこぼれ出し、自分もつい笑ってしまいそうな顔は悟られないように釣りを続けながら、「釣りをやっていて良かったなぁ」と感じる、至福の時でもあります。