終日通す根性は?
隣の釣り人が釣れている。
また釣った・・・、こちらには、いまだにアタリすら・・・。
ポーカーフェイスで穂先を見てはいますが、心の内、よくて真っ白、悪けりゃ劣等感&嫌悪感!
例えばジギング、「今日はこのジグ一本で通す!」スバラシイ志、思考のブレを微塵も感じさせない振る舞い、心の中で自我自賛していざ実釣、でもすぐに、上記の状態に陥ってしまうこともあるものです・・・。
そこからが本当の根性、「一本のジグで一日通す」の意味、思いつきでやるのと、考え抜いてやるのでは雲泥の差があるのではないでしょうか?
前者にはその日釣れても釣れなくても、何がいいのか悪かったのか、次に繋がるものがほとんどなくその日を終了してしまったことでしょう。
後者は釣れれば冷静、自分の洞察が的中!今日一日ジグは一本で通したが、他に何がよかったのかを考察する余裕すらあることでしょう。
釣れなかった場合、釣った同船者のジグの色、重さ、タイプ、ロッドの長さやアクション、その人のしゃくり方、ラインやリーダーの太さなど、今日の自分の状況と照らし合わせた比較対象を必ず考え、次の釣行に繋げていく思考をはたらかせることが大切ではないでしょうか。
かたやカワハギなどの沖釣り、終日同じスタイルの釣りをしていても、刻々と変遷してゆく食いパターンに追従することは難しいとはしても、それでも、たとえ後手にまわりながらでも、その日のカワハギの機嫌をいち早く察知し追従した釣り人に女神は微笑みます。
「それでも俺は自分の釣り方を通す!」
立派なことだと思うのですよ。
船では皆主人公、同船者に迷惑が掛からない範疇での最高の楽しみ方、あると思うのですよ。
「釣れないより釣れる方が楽しい」
これはもっともなご意見、釣りをする方々の純粋な切なる思い、希望、願望だと思います。
でも、「釣れるにはどうしたらよいか?」を考えたとき、現場で「この前はあれでよかったんだよなぁ」はなかなか通用せず、今釣る為には「今何をすべきか」が大切ではないでしょうか。
それにはやはり、たとえ釣れない日があったとしても、「何で釣れなかったのか?」、「何がダメだったのか?」を記憶し持って帰らなければいけません。
その夜風呂につかって目を閉じて、静かに今日一日の釣りを思い反芻しているとき、目をハッと見開き「あっ、これだよぉ~!」と思い気ずき、笑いながら見開いている目の向こうに次の釣行が見えていている自分、釣りに思いを馳せている自分に、「釣りをやっていてよかったなぁ~!」と思える瞬間、僕はそんな時を大切にしています。
いにしえの中国のことわざだったか・・・。
一日幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
三日間幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
七日間幸せになりたかったら結婚しなさい。
一生幸せになりたかったら釣りをしなさい。
だったでしょうか、釣りは易なもの、でも味なもの!